ZACKY's Laboratory 山崎 進 研究室 Page Topへ

なりふり構わず一所懸命にやれば必ず道は開ける。ただし,とんでもない回り道かもしれないが。(その3)

そんなわけで博士後期課程で在籍可能な期間が過ぎてしまい,単位取得退学することになる。指導教員の先生の計らいで研究員として研究室に居続けることができた。隣の研究室の助手と相部屋ではあったが,個室もいただけた。

しかし転機はすぐに訪れた。私が何気なくJREC-INを見ていたら,その隣の研究室の助手が「この仕事なんかいいんじゃない?」と指差した。福岡市内の組込みソフトウェア関連の研究職だった。福岡には友達もいなければ親戚もいない。正直に言えば,組込みソフトウェアについても,本当のところは学部時代に多少調べて興味を持った程度だった(後述)。九州に行ったことがなかったので,ちょっと旅行にでも行くか,ぐらいの軽い気持ちで面接を申し込む。面接では,これまで取り組んできたプログラミング言語処理系の研究が組込みソフトウェア開発を改善する,というようなプレゼンテーションをした。結果は合格だった。急ぎ福岡市内に引っ越す。それが九州大学の福田晃先生率いる「組込みソフトウェア開発技術の開発」プロジェクトだった。

さて,私は組込みソフトウェアに好印象を持っていたのだが,それには理由がある。高校時代にアセンブリ言語で格闘ゲームとFM音源ドライバを開発したのだったが,そのときに割り込みとタイマを駆使するのにやはり手こずった。学部時代に図書館で読書をしていてITRONという組込みOSの存在を知り「これがあったら楽チンに実現できる!」と喜び,調べてみたらメーリングリストがあるということを知ったので,なにやら質問してみたのだった。そのとき親身に回答くださったのが,当時まだ東京大学の博士後期課程の学生だった高田広章先生である。これがとても温かい対応だったのが印象に残ったのだ。そのとき以来,組込みOSについては関心を常に持っていたのである。だいぶ経った後で SWEST で初めて高田先生に対面したときに,やはりお互いどんな質問と回答だったかまでは覚えていないのだが,そのときのことは覚えていてくださっていた。そんなささいなきっかけが今の仕事にも脈々と続いているのだから人生わからない。スティーブ・ジョブズの connecting dots とはまさにこれである。つづく。

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