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高橋剛さんを偲んで

ハウインターナショナルCTO高橋剛さんの合同葬に参列しました。今のザキ研があるのは高橋さんのおかげと言っても過言ではありません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

突然の訃報に驚きました。正直なことを申せば,合同葬に参列して高橋さんの遺影を目の当たりにしてはじめて,高橋剛さんはもうこの世にいないと実感しました。

正田社長が高橋さんのご両親に私のことをていねいにご紹介してくださったのですが,なんと言葉をかけて良いやら,これもまた正直に申せば,今すぐにでもその場を離れたい,というくらい,いたたまれない気持ちでいっぱいでした。

表に張り出されていた高橋さんの昔の写真にも,人柄が偲ばれました。若い時のお父様と本当にそっくりだったのですね。大学時代の写真にも見入ってしまいました。

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高橋さんと私たちの深い交流の始まりは,その時はまだ名前のついていなかった,共同研究型インターンシップの一環で,学生のアルバイト先を Facebook で公募したことがきっかけでした。当時ハウインターナショナルの代表取締役に就任されていた高橋さんは,真っ先に手を上げてくださって,最初の企業クライアントになっていただけました。その前からも交流はあったのですが,これをきっかけに一気に交流を深めました。

当時は研究室の方向転換をしていた時期でした。それまで論文の輪講などの研究活動を主体としていたのですが,「がっつりプログラミングをしたい」という新人学生6名を採用できたのをきっかけに方向転換を決意しました。その上の代で就職活動に苦戦していたことも後押ししました。同僚が企業への長期インターンシップを主体とする学生指導を見せてくれたので,それに刺激を受けたのもあります。私が学生時代を思い返して,研究室の先輩たちが研究の他にプログラミングのアルバイトをしてメキメキ力をつけていったのを思い出していました。新人学生を伸ばすには,プログラミングのアルバイトを学びの場として再現することが肝要である。これが共同研究型インターンシップのスタートでした。

高橋さんは,まだ初めての経験だった学生たちを温かく迎え入れてくださいました。辛抱強くていねいに指導してくださいました。その時の学生のうち2名はそのままハウインターナショナルに就職して卒業していきました。私も大いに手応えを感じていました。

この成功に気を良くして,高橋さんがプログラミングコンテストの構想について私に熱く語ってきました。最初はコンテスト一発勝負という構想だったのを,共同研究型インターンシップを頭に浮かべて「半年かけて育てるイベント」にしようと,最初に私が言い出したところに高橋さんが大きくうなずき,一緒になってコンテストの構想を練りあげていきました。これがのちの九州アプリチャレンジキャラバンです。

今では九州アプリチャレンジキャラバンは,九州になくてはならないイベントに成長しました。北九州市立大学の学生たちもたくさんチャレンジし,数多くの賞とご意見をいただきました。高橋さんからは私に対して審査員就任のお誘いがもちろん初年度からいただいていたのですが,コンテスト当日の日程がどうしても合わなくて,3年目にしてようやく正式に審査員として合流しました。

このような活動の中で,大筋で高橋さんは私の言うことに耳を傾けてくださいました。ごく稀に高橋さんと意見が合わないこともあったのですが,そんなときでもいつも高橋さんは私の異質な意見をうまく落とし所を見つけて包み込むように受け入れてくださいました。そんな高橋さんに私はいつも「誠意あふれる人だな」と深く感心していました。

高橋さんとはこんな具合に人づくりについて熱く語っていました。そのほかの時間は技術について熱く語っていました。最近だとブロックチェーンの様々な応用についても議論を交わしましたね。目を閉じると高橋さんとの対話が心に蘇ってきます。

高橋さんへ。本当にありがとう! 志は受け継いでいきますよ。

山崎 進

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