なりふり構わず一所懸命にやれば必ず道は開ける。ただし,とんでもない回り道かもしれないが。
私の人生を,また人生から得られた教訓を,一言で表すならこれに尽きる。もし今死んだとして,墓標に言葉を刻むなら,この文がうってつけだろう。
この人生訓の事例を示すには,私の人生のどの部分の話をしてもいいのだが,さしあたり大学院の頃から話をしてみよう。
博士後期課程に進学することを決めたのは,周りの先輩たちが次々と進学するので,それを当たり前だと思って何となく進学したのだ。誰にも相談しなかったし,自分の研究に勝算があるわけでもなく,その後の人生設計などもちろん何も考えていない。今となっては自分でもあきれる。とても学生に話せたものではない。
そんな調子だから,修士論文の発表直前はちょっとしたパニック状態である。先行研究をろくに調べもしなかった。やっていた作業は,ソースコードを見てひたすら書き換えて実行速度を測定すること。こんな作業,ちょっと気の利いたスクリプト言語使いだったら,チョチョっとプログラム書いてコンピュータに作業させるよね。でもスキルがなかったので,そんなこともできなかった。
そんなしょうもない苦労をしていたら,もう期限も迫って修士論文を書き始めないと間に合わない。追い詰められてからようやく先行研究を調べ始めたら,強力なライバルがいることが明らかになって,新規性が全く説明できない。ゼミでそのことを説明したら指導教員が絶句する。慌てた先輩たちがなんとか活路がないか,必死に議論する。
自分で言うのもなんだけど,こう見えても先輩たちからはけっこう可愛がられていたんだ。ぜんぜん違う学科からやってきたんだけど,基礎スキルはあったし,いつも研究室にいたし,やたらモチベーション高いし,言われたことはなんでもチャレンジするし,ゼミでも普段での場でも積極的に先輩たちと話し合ったし,けっこういい質問してたし,とにかく一所懸命だったんだな。そんな可愛い後輩がピンチに陥っているのだから,それはそれは真剣に活路を見出そうと,先輩たち総出で夜な夜な議論する。本当に涙が出るほどありがたかった。
そんな感じで論文も発表もめちゃくちゃだったし,先生たちからはボロクソに言われたし,でもそんな先生たちも私が人一倍頑張っていたのは知っていたので,事実上お目こぼしで修了・進学できた。つづく。