ZACKY's Laboratory 山崎 進 研究室 Page Topへ

いくら時間をつぎ込んでも苦にならないことをみつけよう。あるいは,私が教育に興味を持ったきっかけについて

本当のことを言えば大学教員になった当初は教育なんてオマケだと思っていた。研究志向が強かったし,大した興味も持っていなかった。面接時の模擬講義はまずまず好評だったけど,赴任して最初に持った授業なんかボロボロだった。そのときの90分2コマ連続の授業がとても長く感じ,もともと体力もなかったので,終わった後はグッタリだった。

学生たちも全員が全員,物分りがいいとは言えなかった。「これくらいわかるだろう」と思って準備した講義資料では脱落者が結構いた。私は学生たちの反応を見て愕然とし,翌週にはレベルを下げて授業をした。1回では済まず,何回もレベルを下方修正し続けた。

しかし,そうやって学生たちのことをよく見てみてレベルを調整すると,「わかった!」という顔をする学生がちらほら現れ出した。私はその「わかった!」という顔が素直に嬉しかった。

何とかその年度の初授業を切り抜けた後,ある講演に参加したことが転機につながる。私は同じイベントの別トラックの主催者の1人だったが,そのときは他のトラックに参加する時間ができたのだった。そこで冷やかし半分,授業実践に使えればいいなという気持ちが半分で,教育のトラックの講演に参加した。そんな軽い気持ちで参加した講演が鈴木克明先生のインストラクショナル・デザインの基礎を扱った講演だった。痛く感銘を受けて,講演終了後に鈴木先生に質問をした。「何から学べばいいですか?」「そうだなあ,まあ教材設計マニュアルからかな」

帰ってからさっそく教材設計マニュアルを取り寄せた。自習教材をどのように作るかを実践的に解説した本で,教材設計マニュアル自体が自習教材の手本となるように作られた本だった。感心した。むさぼるように読み,さっそく新規開講することになっていた「プログラミング言語処理系」という授業科目を,講義のない自習教材中心の授業にすることを思い立ち,教材設計マニュアルに基づいて自習教材を書きまくった。

学生たちは風変わりな授業スタイルに戸惑いながらも受け入れてくれた。私自身はほとんど講義することなく,巡回しながら学生たちのフォローアップに徹した。アンケート結果もそれなりに好評だった。私はこの風変わりな授業スタイルに手応えを覚えていた。

授業が一通り終わった後で,喜び勇んで鈴木先生に報告したところ,「お前は馬鹿か!」と言われたに等しいことを言われた。具体的には「せっかくの対面授業の場を全く活用していない」というような指摘を受けた。がっかりしたところで「せっかく自習教材を作ったのだから,これは課外時間に学習してもらうことにして,授業の時間には別の有意義なことをしたらどうだろう?」と提案された。これはまさしく反転授業のことである。当時はまだ反転授業はなかったので,もし鈴木先生の言う通りに実施していたら,今頃,反転授業の創始者は私だったかもしれない(笑)。鈴木先生の言葉は心に留めつつも,次々と新規開講しなければならないプレッシャーがかかっていた。それで貴重なアドバイスをしばらく放置することになってしまい,創始者の名誉にあずかれる絶好の機会を逃してしまった。

この頃には授業が楽しくなっていた。学生たちの「わかった!」という顔は,本当に嬉しくてたまらなかった。授業にも人気が集まり,それにつれて研究室も人気が出てきた。インストラクショナル・デザインについて学ぶことも楽しかった。楽しいから夢中で時間をつぎ込む。気がつけば1万時間を教育につぎ込む。それだけ時間をかければ授業もうまくなる。ますます楽しくなる。

そうこうしているうちに次の転機が訪れる。東日本大震災の直後に同僚の先生が突然退職するというピンチだ。結果として私の授業負担は倍になり,共同研究はダメになってしまった。同情した人は「北九州大震災だったね」となぐさめてくれた。

その頃に授業実践そのものを研究にすることを決意する。研究テーマにしていたソフトウェア工学の研究は,大学単独で研究成果を上げることが難しい状況になっていた。今までの共同研究企業を失った上,その後も新たな共同研究企業を獲得できなかったのだ。これに対し,授業実践を教育工学のアプローチで研究にするのであれば,必要なデータは自分で集められる。そこに新たな研究の活路を見出した。こうして私はソフトウェア分野の教育を研究分野の柱の1つとして選ぶことになった。

研究として教育に取り組むと,それはとても面白い。それまでのソフトウェア工学の研究とある意味似ていて,改善プロセスをひたすら回すことが研究の主な活動であった。必然的に FD にも強い関心を持つようになる。FD というのは大学教員の能力開発のことで,日本では特に教育力向上に主眼が置かれている。私にとって FD はライフワークといってもいいくらいのことだった。

ふりかえると,私は教育に向いていた。なぜならば,教育することが本当に楽しくて,多大な時間をつぎ込んでもさほど苦にならなかったからだ。才能の正体はそういうことだと私は思っている。私は学生たちにそういう「才能の断片」を見つけてほしいと心より願っている。

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